目 次

新海 誠(監督)インタビューコメント3
新海 誠(監督)インタビューコメント2
新海 誠(監督)インタビューコメント1
#26 キノコ・タケノコ(コミックス・ウェーブ・フィルム 制作進行)
#25 木田 昌美(キャスティング ネルケプランニング)
#24 三木 陽子(色彩設計補佐・撮影)・市川 愛理(撮影)
#23 松田 沙也(脚本協力)
#22 李 周美(撮影チーフ)
#21 真野 鈴子・玉腰 悦子・中嶋 智子(動画検査・動画)
#20 木曽 由香里・鮫島 康輔・釼持 耕平(アンサー・スタジオ 制作)
#19 箕輪 ひろこ・田澤 潮(原画・作画監督補佐)
#18 三ツ矢 雄二(アフレコ演出)
#17 渡邉 丞・滝口 比呂志・泉谷 かおり(美術)
#16 池添 巳春・本田 小百合・青木 あゆみ(美術)
#15 中田 博文・岸野 美智・岩崎 たいすけ(原画)
#14 竹内 良貴(CGチーフ)
#13 肥田 文(編集)
#12 多田彰文(編曲・アレンジ)
#11 熊木杏里(主題歌)
#10 粟津順・河合完治(撮影、CG)
#09 野本有香(色指定・検査)
#08 廣澤晃・馬島亮子(美術)
#07 土屋堅一(作画監督)
#06 天門(音楽)
#05 丹治 匠(美術監督)
#04 西村貴世(作画監督・キャラクターデザイン)
#03 井上和彦(声の出演)
#02 入野自由(声の出演)
#01 金元寿子(声の出演)

新海 誠(しんかい まこと)『星を追う子ども』監督 インタビューコメント3  

新海監督からのスタッフインタビューコメント、#18から#27までをご紹介です。
最後に、スタッフのみなさん、そして観客の皆さんへのコメントもいただきました!

#18 三ツ矢雄二 (アフレコ演出)

 僕の世代は、三ツ矢さんと言えばもう圧倒的に「タッチ」のタッちゃんです。今思い返してみると、僕はタッちゃんの声を聞きながら、アニメーション声優の声や演技の魅力というものを無意識に学んでいたように思います。例えば喋りのリズム、例えば気づきやショックの時の息づかい、キャラクター性とリアリティの両立、そういうものがタッちゃんの演技にはすべて入っていたんじゃないかと思うんです。ですからそんな三ツ矢さんにアフレコ演出をしていただけたのはまさに僥倖で、人生ってこんなことも起きるんだなあと思えます。
 ご自身が卓越した声優である三ツ矢さんが演出をするわけですから、収録現場はとてもスムーズで、かつとてつもない緊張感がありました。だって、三ツ矢さんの「こんなふうに喋るんだよ」という例が完璧なわけです。声優さんたちはそれをご自身の表現に即座に変換して演じなければならない。聞いているだけで胃が痛くなりますよ、僕は自分が声優じゃなくて良かったと心底思いました(笑)。
 今回の収録は三日間。一年半かけて描いてきた映像に三日間で声をつけるわけですから、本心だと三日じゃ足りないんです。一ヶ月とは言わないまでも、一週間くらいかけてじっくりと組み立てていきたいという気持ちはありました。でも現実的にはそんなスケジュールは難しい。そこを三日間で可能にして下さったのもまさに三ツ矢さんのお力です。三日間、張り詰めた緊張感で役者さんを追い詰めていくことで、きっと一週間かけたときよりもずっと良い濃密な演技を引き出してくださいました。厳しく優しい方です。

#19 箕輪ひろこ・田澤潮 (原画・作画監督補佐)

 「足を向けて寝られない人」カテゴリーのお二人です(笑)。
 田澤さんの作品で最初に見たのは「LIFE NO COLOR」という自主制作アニメで、それ以来ずっと僕は田澤さんのアニメのファンです。田澤さんには「雲のむこう、約束の場所」で作画監督をやっていただいて以来の付き合いなんですが、ご自身で監督もやってらっしゃいますから絵にも動きにもはっきりとした作家性があって、僕はそれが大好きなんです。スタイリッシュで格好良くて品もあって。ご本人の印象とも似ていますね。アニメーターから上がってきたレイアウトや原画って、最初にカット袋から取り出すときにその先のやりとりを想像してしまって僕はちょっと勇気が要るんですが、田澤さんのカットは毎回純粋に楽しみでした。
 箕輪さんとは「秒速5センチメートル」で初めてご一緒して、じっくりと一カットを突き詰めていく姿勢に感銘を受けました。とにかく集中力と執着力がものすごくて、その熱量に比例して完成度もとても高い。本当にご自身を追い詰めるように描かれるんです。制作期間中、休日にスタジオに行くと、たいてい箕輪さんがお一人で机に向かっていらっしゃいました。こんなにご無理をさせてしまっていると罪悪感を感じるんですが、同時に叱咤もされている気持ちになりました。これくらいやらなきゃダメなんだよ、と。
 僕がお二人のことを本当に凄いと思うのは、あれだけの力量がありつつも、それぞれにアニメーターという仕事への迷いを今でも抱えてらっしゃるように見えることです。田澤さんは一時期アニメーターを辞めようかと考えた時期があったそうですし、箕輪さんも3DCGを学ばれていた時期があった。僕が「アニメ監督って向いてないかもなー」と呟くのとは覚悟の深みが違います。だから、お二人が参加している作品──今回でいえば「星を追う子ども」ですが、それに対してどう考えているのかということが実はすごく気になるんです。参加する価値のある作品だと思っていただけるようにやってきたつもりですが、やはり直接は怖くて聞けませんね(笑)。

#20 木曽由香里・鮫島康輔・釼持耕平 (アンサー・スタジオ 制作)

 アニメーション、特に長編映画というのは、絵を描くスタッフだけでは完成させることは出来ません。数万枚という膨大な絵を人の手が描くわけですから、それをスケジュール的にも物理的にも精神的にも管理するスタッフが必要で、それが制作あるいは制作進行という役職です。ただ僕はコミックス・ウェーブ・フィルムの制作進行であるキノコとタケノコとやりとりをしていましたので、アンサースタジオの制作であるお三方とは制作中は直接のやりとりはなかったんです。木曽さんがボス、鮫島さんが中ボス、釼持さんが戦闘員っていうくらいの認識で(笑)。でも遠くから眺めるだけでも、あるいはカット袋に入ったメモを見るだけでも、アンサーの制作さんたちがどれほどアニメーターたちを尊敬しているかというのが伝わってきましたね。それが新鮮な驚きでもありましたし、優秀な制作とアニメーターとの両輪がアンサースタジオの凄みなのだとも理解しました。
 仕事で直接接する機会が少なかったぶん、お三方のインタビューはとても面白かったです。木曽さんのパワフルな信頼感はテレビのAD職で培われたのかとか、鮫島さんの優男っぽいお洒落さは確かに宣伝配給に似合うなとか、釼持さんのそこはかとないリア充っぽさは音楽産業由来なのかなとか、勝手な想像を巡らせて(笑)。木曽さんたちにはずいぶんご心配やご迷惑をおかけしてしまったと思うのですが、次はこちらももうちょっとマシになって、再び作品制作をご一緒していただける日が来ることを願っています。

#21 真野鈴子・玉腰悦子・中嶋智子 (動画検査・動画)

 今回このコメントを書いていていちばん悩んだのが、動画・動画検査の皆さんへの言葉です。あまりにお世話になり過ぎ、あまりにご迷惑をかけ過ぎました。何とお礼を言えば良いのか……。真野さんと玉腰さん、それから今回のインタビューにはご登場なさいませんでしたが、同じく動画検査の元永さん、そのお三方は「秒速5センチメートル」からのお付き合いなんですが、そもそも僕程度のキャリアの監督にとっては本当に過ぎた技術・経歴を持った方々です。今回はそこに弟子筋に当たる中嶋さんにも加わっていただきました。彼女たちに作品に参加してもらえただけで光栄なことですが、その上たいへんな負担をおかけしてしまって、そのことを考えると未だに動悸がしてきます(苦笑)。
 動画検査というのは、レイアウトから始まった作画作業が最後にくぐる場所、クオリティを保つための最後の砦なんです。ですから僕の設定や演出上のミスはすべて彼女たちに受け止めていただくことになってしまう。しかし彼女たちは直接僕に対してはクレームをおっしゃらないんです。そして僕が気づかないうちに解決して下さったりしている。こちらは後で知って青くなるわけです。そういうことが数え切れないくらいありました。
 そういうトラブルがあると、こちらとしてはとても恥ずかしいんですね。というのは、彼女たちはジブリに代表されるようなとても大きなスタジオでお仕事をしてきたご経験が豊富におありだからです。いっぽうで僕の現場ではそういう場所では起こり得ないような初歩的なミスがたくさん起きる。皆さん口には出しませんが、どれほど呆れられてしまっただろうかと思います。それでも投げ出さずに最後まで作品を支えていただけたことに対して、大きな借りをいただいてしまった、と。いちばん「足を向けて寝られない」兼「怒らせたらマズイ」方々です(笑)。

#22 李周美 (撮影チーフ)

 李さんは僕たちが初めて迎えたプロの撮影スタッフでした。それまではずっと自分たち独自の手法で撮影をしてきたんですが、李さんが入って下さったことで劇的に改善された工程がずいぶんありました。李さんは途中から半ば偶然の参加だったんですが、今となっては彼女なしでどうやって完成させるつもりだったのかと、過去の自分を詰問したくなります(笑)。それほど助けられましたし、それほど今作の撮影作業が膨大だったということでもあります。
 今のアニメの撮影というのは、つまるところはAfter Effectsというビデオ合成ソフトをどう使うかというノウハウに尽きるところがあります。そしてAfter Effectsという米国製のソフトは別に日本のアニメ制作のために作られているわけではありませんから、僕たちはどうしても、アナログ時代のアニメ表現をAfter Effectsの機能をどう組み合わせて実現するかというパズル的な発想に拘泥しがちです。つまりソフトの都合に人間が合わせているわけです。このへんは構造的な事情もあるからどうしようもないところもあるんですが、でもせっかくパソコンを使ってアニメを作っているのだから、もうちょっと絵作りについて自由に考えていきたい。そういう思いがチームに醸造されたのも、プロの撮影現場にいた李さんが入ってきてくれたことで起こった化学変化だと思います。
 李さんについて特に印象深かったのは3・11の地震後の仕事に向かう姿でした。韓国人である彼女は国に帰ることも出来たし、彼女のご両親もそれを望んでいらっしゃったはずですし、僕も仕事を強要するつもりもなかった。それでも彼女は泣きながらもスタジオに留まって、時にはお母様と電話で言い合いをしながらも仕事を続けていたんですね。そのうちに韓国のお母様から、食糧のたっぷり詰まった巨大な段ボールがスタジオに届いたんです。だから「星を追う子ども」の撮影で思い出すのは、辛(シン)ラーメンやチャパゲティ(知ってますか?)の味ですね(笑)。

#23 松田沙也 (脚本協力)

 「星を追う子ども」制作開始当初に存在していたのは僕が書いたシノプシス(あらすじ)だけで、それを元にして最初の数ヵ月はメインスタッフが集まって毎週シナリオ会議、絵コンテ会議をやっていました。例えば西村さんは一週間分のキャラクターデザイン、丹治さんはイメージボードを持ち寄り、それを元に意見を述べ合う。松田さんと僕は脚本開発をしていて、「シノプシスのここからここまでを脚本にしてきてください」と松田さんにお願いすることもあったし、僕の書いたイメージボードや脚本に様々な意見をもらうこともありました。そういう会議の場で、松田さんが唯一のプロの脚本家であり、唯一の女性でした。ですから僕は自分のやりたいことを松田さんにどう納得してもらうかということを常に考えていたように思います。たとえ他のスタッフには納得されなくても、最終的には松田さんを説得できればOKだと勝手に決めていました(笑)。それは脚本段階に限らず、完成に至るまでの節目ごとに。
 たとえば、クライマックスでモリサキがシンにナイフを突きつけるシーン。脚本ではナイフは存在しなかったんですが、絵コンテで足しました(そういう箇所がたくさんあります)。それについて松田さんからは当然「本当に必要なのか?」という指摘が出てくるわけですが、でも僕としては理屈ではなくどうしてもナイフを出したかった。それを脚本の文字や絵コンテの説明を越えて観客に納得してもらうためには、アニメーション芝居と声と音楽の演出でナイフが出てきても違和感のないテンションに上げていかなければならないと気づき、それを実現できるように各作業に向きあうわけです。そんなふうに、松田さんの声が舵取りの方向のようなものとしてずっと頭の中にありました。
 ですから映画完成後の初号試写会で松田さんが泣いてくださったというスタッフの目撃談を聞いてとても安心しました。僕にとっては松田さんはスタッフでありながら、最初の外部、観客でもあったのだと思います。

#24 三木陽子・市川愛理 (色彩設計補佐・撮影)

 アニメーション制作には様々なセクションがあって、僕は監督としてすべての工程に関与するわけですが、自分がスタッフの一員であると感じる場所があるとしたら撮影チームです。作画と美術と音響の作業をすべて終えてから僕が撮影チームの一員として参加できたのは最後の二ヵ月ちょっとでしたが、チームの中で一緒に物づくりの醍醐味を味わえたハードではあるけれど楽しい時間でした。
 陽子ちゃん(三木さん)とは「雲のむこう、約束の場所」からの付き合いです。あの頃は美術と色彩設計と撮影のスタッフ区分がほとんどなくて、僕の自宅で何人もが合宿状態で作業していました。陽子ちゃんはその合宿に最初から最後まで付き合ってくれた人で、「雲のむこう~」の完成HDDを納品した直後、当時拾ったばかりの猫たちと一緒にソファーで死んだように眠り込んでいた姿が今でも鮮明です。あの頃は北海道から出てきたばかりの小僧という雰囲気だったのに(失礼)、今作で数年ぶりに仕事をご一緒したらすっかり大人の女性! という雰囲気になっていて……。今でも陽子ちゃんに会うたびに、あんなに小さかった子がいつの間にか立派になって! とか思ってしまいます。
 市川さんは「秒速5センチメートル」の彩色スタッフでした。当時は学生アルバイトさんたちが彩色の中心スタッフで、メインスタジオの近くに借りた小さな部屋にPCを並べてずーっと色を塗ってくれていたんです。学生たちの私物が溢れてまるで学生寮みたいな雰囲気になっていて、時々飲み会に誘うと「まだ未成年なんです」と断られて衝撃を受けたりしましたね。それが今作で再会したらやはり大人っぽくなっていて、陽子ちゃんと居酒屋に行ったりしているわけです。いつの間にかすっかり大人だなあ、と……。
 「星を追う子ども」の最後のデータをアップしたのは2011年3月22日の早朝、あまり寒くない快晴の日でした。それまで李さんと陽子ちゃんと市川さんが何日目かの泊まり込みでスタジオに残ってくれていたのですが、彼女たちが始発電車で帰った後に、急に静かになったなあと思いながら最後のレンダリングボタンをクリックしたことを覚えています。優秀な仕事ぶりだけではなく、制作の最後にお祭りのような賑やかさを残してくれたのも彼女たちでした。

#25 木田昌美 (キャスティング)

 日本にプロの声優さんが何千人いるのか分かりませんが、その膨大な数の中から作品に合う人をどうやって見つけるのか不思議だと思いませんか? 僕には未だに謎ですが、その難しい仕事をしてくださったのがネルケプランニングの木田さんです。もちろん最終的に数十人の候補中から選ばせていただくのはこちらですが、それに至るまでの数千人から数十人を絞り込むのは木田さんなんですね。そして振り返ると不思議ですが、木田さんはじめネルケの挙げてくださるリストの中には必ず正解が含まれているという感覚があって、こちらとしてはそれを見つけさえすれば良いという安心感があるんです。今となっては現在のキャストではない「星を追う子ども」は僕は想像できません。たぶん木田さんのお仕事は、脚本や絵コンテをとにかく想像力をフル回転させながら深く深く読み込んで、描き手が気づいていないような情報までそこから引き出していくことでキャスティングをしていくことなんだろうなと思います。
 木田さんのインタビューもとても面白く読んだのですが、ネルケに入ったのが海外旅行帰りの電車の中で偶然に松田社長に出会ったから、というくだりには驚きました(笑)。アニメーション業界って、確かにちょっと破天荒な雰囲気の方もいらっしゃいます。でも木田さんはいつもとても礼儀正しく控えめな雰囲気をまとってらっしゃっていて、バガボンドな押しの強さみたいなものは微塵も見せない方なんです。そのギャップに、木田さんの見事なお仕事の秘密の一端があるのかなあと思いながら読んだインタビューでした。

#26 キノコ・タケノコ (コミックス・ウェーブ・フィルム 制作進行)

 伊藤さんはコミックス・ウェーブ・フィルムで「雲のむこう、約束の場所」以来ずっと僕の作品の制作プロデューサーをやってくれていて、キノコとタケノコは伊藤さんの部下として、今作から制作進行を担ってくれました。プロデューサーとか制作進行という役職は監督業と同じくらい何をやっているのか分かりにくいと思うんですが、つまりは映画制作に必要なスタッフを手配して現場を組み立てスケジュールを管理して、限られた予算とスケジュールの中で映画を完成まで導く仕事です。その意味では今作が完成まで辿り着けたのは彼らのおかげで、まだまだ経験の浅い自分を支えていただきました。深く感謝しています。
 ただ僕にとっては彼らは立場的に身内で、少なくとも作品とその制作現場について僕と同様に責任を負うべき立場でもあります。ですから、例えば僕は動画検査の方々に対してスタジオとしての未熟さを恥ずかしく感じたと書きましたが、それは僕の恥であると同時に彼らの恥でもあります。今作の経験から何を教訓と出来るのか、それを活かすことが出来るまでは伊藤さんや僕、キノコ、タケノコの仕事は終わっていません。反省会しましょうね!

#特別編 スタッフと観客の皆さまへ

 2009年5月に企画会議を開始し2011年5月に劇場公開が開始された「星を追う子ども」のプロジェクトも、同年11月末のBlu-rayとDVD発売をもって一段落となりました。僕は公開後の半年間を通じて国内外のイベントにいくつも参加させていただき、何千人かの観客の方に直接お目にかかってきました。そのように監督というのは作品と観客の中央に立てる幸せな役職ですが、その中で徐々に強まってきた思いとして、制作スタッフには個々の観客の実存をもっと感じてもらえる機会が欲しいし、観客の皆さまにも制作スタッフたちの仕事や人となりを知って欲しいという気持ちがありました。人は特権的にクリエイターであるわけではないし、特権的に観客であるわけでもないということを双方と話していて思うのです。作品を作るという行為もそれを観て感想を抱くという行為も、その人の人生の一面を能弁に語っていると強く感じます。ですから「星を追う子ども」を作って公開するという過程は、僕にとっては様々な方々の人生を知るということでもありました。
 アニメーション映画は最終的には1テラバイトにも満たないデジタルデータに過ぎませんが、その制作現場やそれを契機に産み出される体験や感情は血肉を伴っています。今回のスタッフインタビュー(一部のスタッフしか掲載出来ませんでしたが)を読んでいて、また今回それへの返答のようなものを書いていて改めて思ったのはそのようなことでした。作品に長い間お付き合いいただいた観客の皆さまと参加してくれたスタッフに心よりお礼申し上げます。(新海誠)

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