目 次

新海 誠(監督)インタビューコメント3
新海 誠(監督)インタビューコメント2
新海 誠(監督)インタビューコメント1
#26 キノコ・タケノコ(コミックス・ウェーブ・フィルム 制作進行)
#25 木田 昌美(キャスティング ネルケプランニング)
#24 三木 陽子(色彩設計補佐・撮影)・市川 愛理(撮影)
#23 松田 沙也(脚本協力)
#22 李 周美(撮影チーフ)
#21 真野 鈴子・玉腰 悦子・中嶋 智子(動画検査・動画)
#20 木曽 由香里・鮫島 康輔・釼持 耕平(アンサー・スタジオ 制作)
#19 箕輪 ひろこ・田澤 潮(原画・作画監督補佐)
#18 三ツ矢 雄二(アフレコ演出)
#17 渡邉 丞・滝口 比呂志・泉谷 かおり(美術)
#16 池添 巳春・本田 小百合・青木 あゆみ(美術)
#15 中田 博文・岸野 美智・岩崎 たいすけ(原画)
#14 竹内 良貴(CGチーフ)
#13 肥田 文(編集)
#12 多田彰文(編曲・アレンジ)
#11 熊木杏里(主題歌)
#10 粟津順・河合完治(撮影、CG)
#09 野本有香(色指定・検査)
#08 廣澤晃・馬島亮子(美術)
#07 土屋堅一(作画監督)
#06 天門(音楽)
#05 丹治 匠(美術監督)
#04 西村貴世(作画監督・キャラクターデザイン)
#03 井上和彦(声の出演)
#02 入野自由(声の出演)
#01 金元寿子(声の出演)

天門(てんもん) 音楽 #06

【プロフィール
1971年生まれ。東京都出身。1990年、大手PCゲームソフト会社にサウンドとして入社。12年間、ゲーム音楽畑を歩き続ける。2002年に会社を退職し、専業音楽家生活に入った。『彼女と彼女の猫』、『ほしのこえ』、『雲のむこう、約束の場所』、『秒速5センチメートル』で音楽を担当し、新海誠の作品世界になくてはならない存在である。ほかの代表作品としては、「はるのあしおと」、「ef - a tale of melodies」など。

公式サイト 電奏楽団 http://www.interq.or.jp/piano/tenmon/
天門 Twitter http://twitter.com/TENMON_2

これまでにない規模のオーケストラで表現した壮大な世界観

■『星を追う子ども』の音楽制作がスタートしたのはいつごろですか。

天門
「2010年の春あたりですね。2009年の10月くらいに新海さんから音楽の依頼をいただいて、今回の映画のイメージをお聞きしたり、スタッフ飲み会にお邪魔したりしていましたが、音楽を作り始めたのは新海さんの絵コンテがだいたい完成してからです。作画チームや美術チームのスタッフさんたちと比べると、だいぶ遅い時期の参加ですね。」

■音楽制作の手順は。

天門
「新海さんの絵コンテをつなげたムービー(ビデオコンテ)を見ながら、監督の「このシーンにこういう音楽がほしい」というイメージをお聞きします。そのイメージをもとに僕が曲を作り、それを新海さんにチェックしてもらって「ここはもっとこうして、ああして」とより具体的な指示が出て、また僕が直して監督がチェックして、というやりとりを何往復も積み重ねるやり方です。基本的な制作スタイルはずっと変わっていないのですが、これまでと大きく違うのは音楽プロデューサー・小川さんの存在ですね。」

■どのように変わりましたか。

天門
「今までは新海さんと1対1で直接打ち合わせをしていましたが、今回はあいだに小川さんが入るかたちになり、楽曲制作のスケジュール管理や外部アーティストとの交渉など細かいことをお任せすることができましたから、僕は楽というか、わりと肩の力を抜いて仕事することができて、そのぶん曲作りに集中することができました。それと、今回はお話をいただいた段階から「物語の規模がこれまでより大きいし、ファンタジー世界が舞台なので、こじんまりとした音楽ではなくもっと壮大な感じを出すためにオーケストラを使いたい」と新海さんからお聞きしていましたが、そういった新海さんの希望を具体化するにあたり、小川さんが早くから動いてくださいました。」

■天門さんはオーケストラの曲作りは初めてですか。

天門
「そうですね。これまでの新海作品の音楽は、ピアノだけ、あるいはピアノと弦楽器、というようなシンプルで小規模な構成の曲が多かったので、やはりオーケストラとなるとこれは大変だぞ、と思いましたね。それで、途中から、多田彰文さんにアレンジャーとして入っていただきました。多田さんは2009年12月に発売された「Promise」(エミネンス交響楽団演奏による新海誠作品イメージアルバムCD)でも何曲かアレンジしてくださっているのですが、とにかく経験が豊富で、引き出しの多い方ですから、非常に助けられました。僕は特に音楽の勉強をしてきたわけではないので、「この曲をオーケストラで演奏したらどんなふうになるんだろう?」と想像しようとしても、うまく完成形がイメージできないんです。なので、オーケストラで演奏することが決まっている曲に関しては、僕のほうで曲の骨格だけ作って細かいところまでは作りこまず、多田さんにお任せしたものもあります。僕としては、全体としてできるだけ「王道の音楽」を目指しました。」

フレーム単位でダメ出しが! 映像と音楽の心地よいシンクロを追求

■新海さんからの曲の注文は細かいですか。

天門
「ええ、細かいです。ものすごーーく細かいですよ(笑)。『ほしのこえ』のときから変わらないですね。「このカット頭にピアノの音を合わせて」とか「このセリフに合わせて曲を盛り上げて」とか。「アスナの心に寄り添うように」というように、そのシーンのキャラクターの感情に合わせた演出もありますし、「このキャラがハッと振りむくのに合わせて○○の音を入れて」というように、アクションのタイミングに合わせた演出もあります。でも、映像の細かさと音楽の細かさって、ちょっと種類が違うわけですよね。映像は1フレームずつ細かく調整できますけど、音楽は一応決まったテンポがあるわけですから、「映像が1フレームずれたからそれに合わせて音も1フレームずらす」というようなことはなかなか難しいわけです。」

■そういうときはどうするんですか。

天門
「うーん……なんとなく新海さんが「あ、これはもうこれ以上音楽ずらせないんだろうな」と察して音楽に映像を合わせてくれることもありますが(笑)、でもやはり、映像と音楽のタイミングの心地よいシンクロというのは新海作品のとても大きな特長だと思うので、できるだけその細かい注文に応えようと努力しています。僕はもうこの新海スタイルになれていますけど、多田さんはちょっとびっくりしたんじゃないでしょうか。「1フレームずらしてくれ」なんて、普通そこまで言う人はいないですからね。」

■天門さんが作った曲を新海さんに送ったら一発でOKが出た、というようなこともありましたか。

天門
「いや、基本的に一発OKって、新海さんの場合ありえないですから(笑)。打ち合わせで新海さんから「ここは○○な感じの曲を」っていう指示が出て、その通りに曲を作って送っても「いや、やっぱりここは○○じゃなくて、△△な感じがほしい」とか言われるんです(笑)。」

■打ち合わせのときと違うじゃないか!ってケンカになったりしませんか。

天門
「ケンカにはならないですけど、一応僕も「いやー、このあいだ新海さんが○○な感じでっておっしゃってたのでこういう感じで作ってみたんですけどねー」って小声で言い訳をして(笑)。でもちゃんと「△△な感じ」でまた作り直しますよ。そのほうが、最終的に、よりいいものができるということを知っているからです。僕が「絶対自分が作ったもののほうがいい!」って主張して我を通すより、新海さんと一緒に粘土をこねるように二人でこねこねしながら出来上がった曲のほうが、やっぱり、最初の曲よりもはるかにいい曲になっているんです。そのことを経験として理解しているので、監督からムチャな注文があってもそれほど驚きません(笑)。」

■そういったやりとりというのは、やはり長年一緒に作品作りをする中で培ってきたお二人の関係性によるものなのでしょうね。あうんの呼吸というか、ツーカーの仲というか……。

天門
「しかし今回は、これまでのようにツーカーでイメージのやりとりができる、というわけにはいきませんでした。現代の都市が舞台で、コンビニや高層ビルが出てきて、心の中の小さな感情の揺れを描く……というものなら、ある程度は容易に共通のイメージを持つことができますが、今回『星を追う子ども』の舞台は現実世界ではなくファンタジー、架空の世界です。新海さんと僕とではそれぞれが抱くファンタジーのイメージが異なっていて、時には意見がすれ違うこともありました。そんなときは小川さんから「こういう曲調、こういう音色にしてみたらどうか」というような助言をいただいたり、多田さんのお力をお借りしてアレンジの力で曲をひっぱってもらいました。」

■特に苦労された曲はなんですか。

天門
「クライマックスシーンのBGMですね。ビデオコンテを流しながら鍵盤を弾いて曲を作っていて、映像と音がピタッとはまって完成したとき、ものすごく大きな達成感がありました。思わずツイッターでも「高揚感に浸っています」とつぶやいたくらい。今までのどの新海作品の制作中にも、できあがった瞬間にそういうカタルシスをぶわっと感じた曲というのが必ずあって、忘れがたいですね。そうするとやっぱりその曲、そのシーンが大好きになりますね。」

部活は全国大会出場、授業は塀塗り、家ではパソコン漬けの高校時代

■子どもの頃から音楽好きだったんですか。

天門
「いや、小学生の頃は音楽よりもゲームが好きでしたね。ゲームセンターでゼビウスとかやってました。中学生になってからYMOにハマり、シンセサイザー音楽が大好きになって、YMOだけでなくヴァンゲリスや喜多郎、姫神などの曲も好んで聴くようになりました。それと友達の家にパソコンとピアノがあってそこでよく遊ばせてもらっていて、彼の薫陶を受けて、自分もパソコンに興味を持ったんです。いわば僕の師匠的な存在ですね。高校に上がってからは、親に土下座してPC-8801FHを買ってもらい、自分の家でもパソコンゲームをするようになりました。PC-8801FHはFM音源3声、PSG3声(シンセサイザーの音のような特徴をもつFM音源を同時に3つの音しか出せず、矩形波〔くけいは〕であるPSG音源も同時に3つの音しか出せない)だったんですが、当時流行っていたゲームの音楽は本当にすごくて夢中になりましたね。そこで僕もPC-8801FHでサウンドドライバーを使って曲を作り始めました。」

■なにか音楽系の部活に入っていたりしたんですか。

天門
「いえいえ、全然ちがいますよ。測量部です。ちなみに僕のポジションは「ポール持ち」でした。」

■測量部!

天門
「全国大会にも出場したんですよ、東京都代表として。といっても都内に3つしか測量部のある高校はなかったんですけど(笑)。僕が進学したのは農業系の高校だったので、珍しい部活がいろいろあったんですよ。緑地土木科というクラスで、授業ではセメントを練ったり塀を塗ったりしていました。中学のときの担任が「あの高校は卒業記念にみんなでデザインして設計図を書いて日本庭園を造るんだけど、きっとそういうところが君に合うんじゃないか」と勧めてくれたんです。おそらく、僕がなにかものを作るのが好きっていうのを見抜いていたんじゃないかと思います。実際、その高校では、なにかを作るということに興味のある人たちがまわりに結構いましたね。マンガ家を目指している友達とかとよく一緒に遊んでいました。でも、音楽作りはほぼ自宅で一人で作っていました。誰かに聴かせるためとかじゃなく、単純に自分で作って聴くのが楽しいという気持ちだったんです。でもある時、友達の家の隣りに住んでいるピアノの上手なお兄さんに自分の曲を聴いてもらう機会があって、そのお兄さんが「この曲、いいじゃないか」って言ってくれたんですね。」

■それはうれしいですね。

天門
「ええ、やっぱりちょこっとでもほめられるとうれしいものですし、自信にもつながりました。そのころ、友達から「オリジナルゲームを作るから、その音楽を作ってくれ」と言われまして。僕としては、やはり自分自身の楽しみとして曲を作ったんですが、友達は「ゲームができたら、あるところで売るんだ」と言うのでビックリしました。それが当時まだ晴海でやっていた頃のコミケでした。夏休みに、完成したゲームを5インチフロッピーディスクに50枚ほど焼いて、ラベルを作って貼って、それを持って友達に連れられ晴海に行きました。もちろん初体験です。コスプレの人もいるし、衝撃でしたね。売り子もやりましたよ。1枚200円で売ったんですが、それがなんと完売したんです。もう、ものすごく感激しましたね。最初は、自分の楽しみのために作ることだけで満足していたのに、それを他の人がお金を出して買ってくれて、しかも完売だなんて。このときに感じた思いが、今も自分の根底にありますね。創作の楽しみ、喜びをおぼえたというか。」

■そこから、音楽の道に進もうという思いが生まれたんですね。

天門
「そうですね。でも「絶対プロになるぞ!音楽で食っていくぞ!」とかそういう感じではなくて、楽しいからもっとやりたい、仕事にできたらいいなあ、というぐらいの気持ちでした。ちょうど高校を卒業するころに、ゲーム雑誌の中で、あるPCゲーム会社のスタッフ求人広告を見つけたんです。その会社は、僕の大好きなゲームを作っているメーカーでしたから、「あのあこがれの会社で音楽を作れたらいいな」と興奮しました。さっそく在学中に作っていた曲をカセットテープに入れて応募したところ、なんと内定をもらうことができました。まだバブルの時期でしたし、ちょうど社内の音楽スタッフが足りない時期だったらしくて、運もよかったんだと思います。そこから12年間、その会社でゲームミュージックの作曲の仕事をすることになります。」

自主制作でも商業作品でも、聴いて楽しんでくれる人の存在が一番の幸せ

■そこで新海さんと運命の出会いをするわけですか。

天門
「いや、そんなに劇的じゃないですよ(笑)。新海さんは僕の数年後に同じゲーム会社に入社してきたんですが、僕がいたゲームを開発する部署と、新海さんが所属していた企画の部署は、フロアも違うし、ほとんど顔を合わせることもありませんでした。あるゲームのオープニングムービーを作る仕事で一緒になったのが最初ですね。映像と音楽が同期する心地よさにこだわる新海さんのやり方というものは、すでに当時からはっきりとありましたね。ハープの音が鳴るシークエンスで、「ハープの弦が1本1本はじかれる絵のタイミングに音を合わせてください」と指示が出たり。その仕事の後、別のスタッフ経由で「新海さんが個人的に作っている映像に曲をつけてくれる人をさがしている」という話を聞いたんです。それで新海さんが作った『遠い世界』という自主制作作品を見て、「へえ、こういうのを作る人なのか」と知り、一緒にやってみましょうということになったのが『囲まれた世界』、そして『彼女と彼女の猫』ですね。」

■『彼女と~』の音楽はどのようにして制作されたのでしょうか。

天門
「『彼女と~』は映像のタイミングに合わせて音楽をつけたわけではなくて、新海さんからお話のイメージと全体の流れをお聞きして、僕なりに1曲作りました。できあがった音楽を新海さんに聞いてもらって、「ちょっとテンポが速いのでもう少しゆっくりと」とか、そういう感じのダメ出しでしたね。『彼女と~』が第12回CGアニメコンテスト(非営利団体DoGA主催の自主制作CGアニメを対象としたコンテスト)でグランプリを受賞し、それがきっかけでいろんな方に名前を知っていただくことができました。『彼女と~』はエンハンスドCD(CDプレーヤーで音楽を、PCでマルチメディアコンテンツを楽しめるCD)を作ってM3という同人音楽即売会で手売りしたり、自分で通販したりしていました。ラベルを印刷して貼って……って、高校のときと同じですね(笑)。続く新海さんの映画『ほしのこえ』でも音楽を担当させていただき、2002年2月に下北沢のトリウッドで上映されました。ありがたいことに、たくさんの方から、映画そのものの高い評価とともに音楽にも注目していただけて、その年の秋に会社を辞めて専業作家生活に入りました。」

■こうやってこれまでの天門さんの音楽を振り返ってみますと、個人的な楽しみとして自室で作ってらしたときから現在の職業作曲家としての活動まで、一本ずっとつながっているということがよく分かります。

天門
「そうですね。今も自宅で一人もくもくと作っていることに変わりはないですしね(笑)。やる気が出ないときもあるし、ダメなときは全然作れないですし。そういうときは、大好きなミュージシャンのライブDVDを見てテンションを上げたり、作りかけの曲を一晩寝かせてみたり、散歩してみたり。お酒を飲みながら作ることもありますよ(笑)。今回『星を追う子ども』の音楽を作っている最中はわりとツイッターで心境をつぶやいていたので、ログを読んでいただければ作曲中の僕の状態が分かるかもしれません(笑)。コミケも通販もツイッターでのコミュニケーションも、全部、「自分が作った音楽を誰かが聴いて楽しんでくれている」っていう喜びにつながっているんです。やっぱりそれが僕にとって創作意欲の一番の源であることは変わらないですね。」

「新海節」を超えてより普遍的な魅力をはなつ、新しいジュブナイル映画の誕生

■天門さんから見て、今回の映画のみどころは。

天門
「新海さんの作品には、小さな世界の中でのささやかな感情のやりとりを、映像と音楽のたたみかけるようなシンクロで見せる「新海節」とでも呼ぶべき核がありますよね。それは『彼女~』からずっと続いていて、『ほしのこえ』『雲~』ときて『秒速~』でかなり洗練された形になったと思うんです。『秒速~』の第3部の「One more time, One more chance」が流れてきたところで「新海節」は一種の頂点をむかえたと思うんですが、あそこで「これはもう行きついちゃったな」という感があって、「新海さんの次の作品もまたこういう方向だったらどうしよう」って実は心の中で思っていたりもしてたんです(笑)。だけど今回の作品は、「新海節」だけに頼っていない。強引に力わざで感動させようとするのではなく、うまいぐあいに「新海節」は後ろに引っ込めて、より広い普遍性をもたせている作品だと思います。そういう意味で、これは新海さんの新しいチャレンジだと思いますね。キャラクターのモノローグもほとんどないですし(笑)。」

■少年少女のジュブナイルもの、というテーマ自体もこれまでになかったものですね。

天門
「そうですね。「新海節」の作品を期待している人もたしかにたくさんいるだろうし、ああいう作品を職人的に作り続けるというのもアリなんですけど、でもやっぱり新海さんはあえて、より広い観客に向けて普遍的な作品を届けたい、というチャレンジを選んだんだと思うんです。今回のポスターや予告編を見て「いつもの新海さんっぽくないな」と感じている方もいるかもしれませんが、実際には、映像も物語も、まぎれもなく新海監督ならではの世界観の映画になっていると思います。でも、エンディングは、今までの新海映画とは違う終わり方になっていて、新海さんの映像作家としての目線が広がったのかな、という感じがしますね。ぜひみなさんの目と耳で、劇場で確かめてみてください。」

■今後の天門さんの活動について教えてください。

天門
「正直、これからどうしようかな、どうしていくべきかな、と考えています。今回、多田さんの仕事ぶりを見て、音楽的な技術の違いも感じました。多田さんから自分の曲をどういうふうにアレンジしたかという譜面をいただいたので、和音の使い方とか楽器の構成とか、いろいろ吸収したいですね。でもこれから先、たとえばもっと勉強してオーケストラのアレンジができるようになればいいのかというと、それもなかなか難しいと思いますし、やっぱり自分のやれること、より自分らしいものを追求していくしかないかな、と感じています。そう考えると、やはり個人的にはシンセサイザーとか、そういう音が好きなんですね。僕は音楽的にそれほど幅広いというタイプではないので、シンセサイザーで多くの人の印象に残る曲を作る、という自分らしいスタイルを追求していきたいです。」

 

【インタビュー日 2011年2月3日
  聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】

次回のインタビューは、作画監督の土屋堅一さんです!

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