目 次

新海 誠(監督)インタビューコメント3
新海 誠(監督)インタビューコメント2
新海 誠(監督)インタビューコメント1
#26 キノコ・タケノコ(コミックス・ウェーブ・フィルム 制作進行)
#25 木田 昌美(キャスティング ネルケプランニング)
#24 三木 陽子(色彩設計補佐・撮影)・市川 愛理(撮影)
#23 松田 沙也(脚本協力)
#22 李 周美(撮影チーフ)
#21 真野 鈴子・玉腰 悦子・中嶋 智子(動画検査・動画)
#20 木曽 由香里・鮫島 康輔・釼持 耕平(アンサー・スタジオ 制作)
#19 箕輪 ひろこ・田澤 潮(原画・作画監督補佐)
#18 三ツ矢 雄二(アフレコ演出)
#17 渡邉 丞・滝口 比呂志・泉谷 かおり(美術)
#16 池添 巳春・本田 小百合・青木 あゆみ(美術)
#15 中田 博文・岸野 美智・岩崎 たいすけ(原画)
#14 竹内 良貴(CGチーフ)
#13 肥田 文(編集)
#12 多田彰文(編曲・アレンジ)
#11 熊木杏里(主題歌)
#10 粟津順・河合完治(撮影、CG)
#09 野本有香(色指定・検査)
#08 廣澤晃・馬島亮子(美術)
#07 土屋堅一(作画監督)
#06 天門(音楽)
#05 丹治 匠(美術監督)
#04 西村貴世(作画監督・キャラクターデザイン)
#03 井上和彦(声の出演)
#02 入野自由(声の出演)
#01 金元寿子(声の出演)

李 周美(い じゅみ)『星を追う子ども』撮影チーフ #22

【李 周美 プロフィール
2001年渡日。日本語学校、東京デザイナー学院を卒業後、
アニメーション撮影会社に入社。テレビアニメを中心に担当。
主な作品は「真マジンガー衝撃!Z編」「イタズラなkiss」
「ペンギン娘はぁと」など。『星を追う子ども』で新海作品に初参加。

新海監督は雑誌に載っているアイドル!? でも写真写りは悪い!

■新海監督のことを知ったきっかけは。


「私がアニメの専門学校で卒業制作を作っていた時に、友達から「李さんが作ろうとしている作品に近いアニメがあるよ」と教えてもらったのが『雲のむこう、約束の場所』でした。私の卒業制作は、バイオリンを弾く子が出てくる、淡い恋物語だったんです。確かに似てますよね(笑)。それで新海監督のことを知り、続けて『ほしのこえ』『彼女と彼女の猫』を見ました。『ほしのこえ』も『彼女と彼女の猫』も新海さんご自身で声を当ててらっしゃいますよね。ですから新海さんに対して抱いた最初の印象は「なんて声のかわいい男の人なんだろう!」ということでした(笑)。もちろん映像もすごいですし、一人で作られたということを知って大変驚きました。アニメ専門誌「アニメーションノート」(誠文堂新光社)の第1号が新海監督の特集だったので、作品のメイキング記事や監督のインタビューなど、何度も読み込みました。でもまさか一緒に仕事することになるとは全然思っていませんでした。同じアニメーション業界にいる人というよりも、別世界の人、雑誌に出ている人というイメージで。やっぱり自分の名前で作品が売れるというのはすごいことだと思うんです。まるでアイドルみたいだなって(笑)。」

■今回の作品に参加されたのはいつ頃ですか。


「2010年の7月末に、友人の野崎麗子さん(『星を追う子ども』原画)の紹介で伊藤さん(『星を追う子ども』プロデューサー)にお会いしました。そうしたらいきなり伊藤さんから「是非このプロジェクトに参加してほしい」と言われたんです。初対面なのに(笑)。それで、その日のうちに新海監督や他のスタッフに「うちで働くことになるかもしれない李さんです」と紹介されました(笑)。」

■新海監督ともその時が初対面だったわけですよね。どのような印象を受けましたか。


「「一人で作品を作っている監督」という先入観が強かったので、ドライで孤独な雰囲気を漂わせているような、センチメンタルでメランコリックな人なのかなーと勝手に思っていたんです。そうしたら、実際にはなんだかふんわりした感じの人で(笑)すごく気さくに話しかけてくださったので驚きましたね。でも、新海さんがスタジオに現れた瞬間、パッと周りの空気が変わるんですよ。華があるというか監督としてのオーラが出ていて、「わー、確かにアイドルみたいだぁ」って思いました(笑)。そして私は確信しましたね、新海監督は写真うつりが悪い!と(笑)。新海さんは雑誌に載っている写真よりも、素のご本人のほうが絶対に素敵ですよ! そんなこんなで、撮影として参加させていただくことが決まり、8月の頭からCWF(コミックス・ウェーブ・フィルム。『星を追う子ども』制作会社)に通うようになりましたが、やはり最初の頃は緊張と戸惑いがありました。」

個性もバックボーンもバラバラなチーム新海。視点の違いがお互いよい刺激に

■具体的には、どのように撮影の仕事を進めていかれましたか。


「まず、スタジオに山積みになっているカット袋を整理して、背景があがっているカットとあがっていないカットに分けて作業しやすい状態にするところから始めました。そして、まだ撮影のルールがきちんと定まっていなかったので、新海監督と話し合い、より効率的に撮影作業を進めるための手順を決めていきました。
 ちょっと専門的な話になるのですが、例えば、テレビアニメの撮影では「After Effects」(アドビシステムズ社の映像合成ソフト)のタイムリマップという機能を使用することが多いのですが、チーム新海では使われていなかったんです。これを使えば時間の節約ができるので、その分を他のエフェクトなどの作業にあてられますよと新海監督に提案し、導入してもらいました。」
 
 

■これまでの李さんの撮影経験が生かされたのですね。


「そう言っていただけるとありがたいですが、いくら私が経験者だとはいえ、新海監督の作品の撮影方法はある意味独自の進化を遂げている領域ですから、私がこれまでやってきたテレビアニメの撮影方法がそのまま適用できるというわけではありません。でも新海さんは私の意見もいろいろ取り入れてくださり、嬉しかったですね。
また、撮影スタッフが全員違うバックボーンを持っているので、一つのカットに対しても見方がそれぞれ異なっていて、お互いに意見交換できるということも非常に刺激的でした。いわゆる通常のテレビアニメの撮影経験者は私一人だけで、粟津さんと河合さん(インタビュー♯10)は3DCGがご専門で、竹内さん(インタビュー♯14)は美術出身でCGのチーフ、三木さんと市川さんはもともと仕上げスタッフ、という具合に。だから、私がみんなに「After Effects」のショートカットの使い方を教えると「すげー!こんなにサクッとエフェクトつけることができるんだ!」と驚かれたり、逆に私も粟津さんたちから「ここはこういうふうにCGを使えばもっと簡単にできますよ」というテクニックを教えてもらって「うわー、こんな機能あったんだ!知らなかった!」と驚いたり(笑)。みんながお互いにこれまでの経験や知識を教え合う現場でした。」
李さんの隣の席に座っているのは粟津さん。
 李さんいわく、「粟津さんは私が冗談を言ったら、
 すかさずオヤジギャグを返してくれる楽しい人(笑)」

デジタルらしさをできるだけ消すように。むしろアナログのエフェクトを参考にした箇所も

■『星を追う子ども』の撮影において、特に気をつけたポイントは。


「まず第一に、「CGっぽさ、デジタルっぽさをできる限り消す」ということです。今回の作品は、キャラクターデザインもかつての世界名作劇場に近いですし、美術もアナログの絵の雰囲気があります。全体として日本の伝統的な、ある種「懐かしい」と感じさせるようなアニメーション映画の見た目ですよね。そこにのせるエフェクトがいきなりCGっぽかったら、作品の世界観が台無しになってしまいます。ですから、いかにうまくまわりに馴染ませられるか、かつてのセルアニメの持つ味のようなものを加えることができるか、を考えました。
 でも、それは単純に「こうすればアナログ風に見える」というような決まったやり方があるわけではなく、加えるエフェクトの種類によっても手法は様々で、それぞれのカットごとに最も効果的な方法を探らなければなりません。例えば「光を加える」と一口に言っても、手描き風の光や透過光、照り返しの光など色々ありますが、カットによっては光があまりにもきれいにボケ過ぎているとCGっぽさが出てしまうので、パキッとしたマスクを作ってアナログ的に表現したところもあります。

また、煙の効果もパーティクル(火や霧など自然界にある不規則な形状を表現するために開発された3Dグラフィックモデリング技法の一つ)なのですが、CGで加えたことが分からないようにできるだけ作画の表現に近づけるように工夫しました。

また、CGっぽさを消すというだけでなく、逆にかつてのセルアニメーションにおけるアナログ撮影風の効果を意識的に取り入れたカットもあります。新海監督と一緒に昔のアニメを見ながら「このカットのこのエフェクトを参考にしてください」というような具体的な指示があることもありましたし、私自身もともとアナログの表現が好きで、普段からアナログ撮影の作品をよく見ていたんですよ。テレビアニメ「あしたのジョー」の入射光を見て「かっこいいなー、これはどうやって撮ったんだろう?」といろいろ考えてみたり。透過光は実際に下から光を当てて撮っていたわけですし、ナミチカ(水面などがキラキラ光る表現)は明るく輝かせたい箇所に一つ一つ手で小さな穴を開けて、その下にアルミを敷いて、キラキラ光らせていたんですよね。本当に職人技だなと思います。そういったアナログ作品の持つ味をうまく今回の作品にも生かしたいと思い、結構あちこちのシーンでわざとアナログ的な撮影効果を取り入れています。」

■といっても、実際にアルミを敷いたりしたわけではなくて、全部パソコンで操作してらっしゃるんですよね。


「ええ、もちろんそうです(笑)。前の会社では素材撮りなどでやったこともありましたが、私自身、実際にアナログ撮影をやった経験はほとんどありません。専門学校でも撮影の授業はもうデジタル中心になっていました。ただ、学校の地下室にアナログの撮影台があって、少し触る機会があったんです。だけどエフェクトをかけることはとてもできず、単純にそのまま撮るだけでもう精一杯でした。きちんと勉強してみたかったな……と思いますね。
 昔はフィルムで撮影していたので、そのフィルムを現像してみないとどういう仕上がりになっているか分かりませんでした。でもデジタルなら「エフェクトやフィルターをかけたらどうなるか」がすぐに分かります。もし気に入らなければ「こっちは取り消して、あっちのエフェクトをかけてみよう」と何度でもやり直すことができます。これはデジタルならではの強みですね。その一方で、長年培った職人技ではなくマウスをカチッとクリックするだけで誰でも簡単にエフェクトがかけられるようになった今の時代、撮影は一体どの部分でプラスアルファの差をつけることができるか、という新たな課題が生まれてきて、これまでとは別の経験値、別の職人技が必要とされているなと感じます。監督によっても作品によっても必要とされるものは違うと思いますが、私としては、デジタルの特性を充分に把握し、日々進歩する新しい技術を取り入れつつ、アナログ撮影的な味わいを出すようなやり方が好きですね。今回はその方向で結構好きなようにやらせていただいたので、新海監督に感謝しています。もちろん、最終的には新海さんが撮影監督としてしっかり見てくださったわけですが。」

■印象に残っている撮影カットは。


「クラヴィスの表現ですね。シンがクラヴィスを見るところや、ラジオの鉱石から光がブワーッと広がるアスナの悪夢の中のシーンなどは、私がつけたエフェクトを監督が気に入ってくださり、ほぼそのまま使っていただいてとても嬉しかったです。クラヴィスが出てくるシーンは結構たくさんあるので、エフェクトのバリエーションを考えるのがなかなか大変でした。

あと、モリサキがタイプライターを打って文字が紙に印字されていくカットは、タイプライターの動きだけ動画があったのですが、他の素材は自分で集めなくてはいけなかったんです。紙の素材はどういうものがいいかを考え、タイプライターの文字を自分で作り、それらを組み合わせて文字が印字された紙が横に移動していく動きをつけて……。」

■そこまで撮影でやるんですか!


「動きのないイメージカットなら、こちらで1カットまるまる作って完成させてしまうこともありますよ。私たちの仕事は「撮影」というネーミングですが、カメラで実際に撮影しているわけではありませんから、まあ言ってしまえばアナログ時代の呼び方の名残ですよね。パソコンでの作業になってからは「合成」「コンポジット」とも呼ばれたりもします。あらゆる素材を組み合わせて完成カットまで持っていく、映像制作の最終段階ですから、結構どんなことでもやるんですよ!」

色と光で絵はここまで変わる! 繊細かつ大胆な新海監督独自の撮影センス

■新海作品ならではの撮影のやり方、というようなものもありましたか。


「それはもう、たくさんありました。これまでの作品でも、そして今回も、新海監督の映画の最大の特長は「色」と「光」の美しさだと思います。新海さんは1カット1カット、全て色を調整するんです。普通は同じキャラクターであれば、どこでも同じ色で塗られています。せいぜい、影の中にいる時はこの色、太陽の下にいる時はこの色、とシーンごとに何種類かパターンを決めるぐらいです。ところが新海監督は「ここは逆光だからもっと色を落とそう」とか、「この季節のこの時間帯の太陽の光は弱いから、色はこれぐらいにしよう」とか、そんなふうに毎カット全ての色を撮影の段階で変えていきます。これはテレビアニメの撮影出身である私にはカルチャーショックでしたね。撮影のスタッフが色をいじるのは許されないことでしたから。色に関しては色専門のスタッフがいるので、その人の仕事の領域を侵すことになると。だけど、新海作品では新海さんが撮影の段階で色を変えるということは共通の前提となっているので、色指定の野本さん(インタビュー#09)もおっしゃられていましたが、「色も素材の一つ」という考え方なんです。これはものすごく刺激になりました。こういう作り方をしている監督はおそらく他には少ないでしょうね。
 もちろん、撮影段階で加えるエフェクトの色に関してはこれまでの会社でもある程度任されていたので、今回も自分で考えて色をつけたところもあります。例えば雨は、アスナが防空壕跡でシュンを待っているシーンは白色でどしゃ降りの雨、シュンと僧兵隊長の戦闘シーンは雰囲気を出すために青色系の雨、モリサキの回想の中は暗いイメージなので黒澤明監督の映画のビジュアルを真似て黒色の雨にしよう……など、色々な表現を考えるのは楽しい作業でした。」

■アニメーションだとそういった色の表現が自由にできるのですね。


「そうですね。でも新海監督の色使いはもっと自由自在なんです。背景美術の上に動画をのせて、その上にさらに光を足すという時、動画の色が明るいと光がのりづらくてうまく見えなかったりすることがあるんですが、「じゃあここは動画の色を落としましょう」と監督から言われ、私なりに色味を落として光をのせたものを監督にお渡ししました。ところが完成した映像を見てみると、さらにドンと落としていてかなり暗い色合いの絵になっていてびっくりしました。暗くなった分、光がものすごく美しく際立つんです。「ああ……新海監督がこのカットで一番見せたいものは、光だったんだ」ということが明確に分かる絵になっていました。もちろん作画自体には手を加えていませんが、色と光を変えるだけでここまで違う絵になるのかというのは大変な驚きでした。

李さんが撮影したカット 新海監督が手を加えた完成カット

新海監督は「こうやりたい」という意思を徹底して貫く頑固さがあると思います。一見妥協しているように見えて、実は全然妥協していなかったり。普段は人当たりも柔らかくて穏やかな方なんですけど、本当はすごく大胆でダイナミックな人なんだなということがよく分かります。撮影からその人の人柄や本質を推測するのは、この仕事に就いている者の職業病のようなものですね(笑)。もちろん自分の監督作品ですから「映画の全てに対して自分が責任を持つ」という気持ちで取り組んでらっしゃるんだとは思います。それはきっと、どの監督さんでもそうなんでしょうけど、撮影の細部に至るまで、ご自身の手で、ここまで徹底的にぶれずにその方向性を貫き通すというのはすごいことですね。」

ホームシックでたった2カ月で帰国。でも専門学校では表彰されるほどの優等生。
一度はこの仕事を辞めたものの、そのおかげで自分自身を見つめ直すことができた

■李さんは韓国のご出身ですが、もともと子どもの頃からアニメがお好きだったのですか。


「アニメも漫画も大好きでした。漫画は貸本というシステムで、当時はおそらく海賊版だったんじゃないかと思いますが(註:韓国では日本大衆文化の流入制限があり、正式に日本の漫画が開放されたのは1998年の"第一次開放"以降)たくさん借りて読みましたね。アニメも母がビデオを借りてきてくれたり、ケーブルテレビのアニメ専門チャンネルなどで見ていました。母も仕事をしていたので忙しく、家にいないことが多かったので、かなりテレビっ子でした。「ポケットモンスター」「スレイヤーズ」「セーラームーン」「スラムダンク」「Dr.スランプ アラレちゃん」「ガジェット警部」……どれも大好きでしたね。でも高校生になって「勉強しなくちゃ」と思い参考書を買ったりしたんですが、その隅っこにえんえんアニメキャラの絵を描いていたんですよ。そうしたら母が「そんなに好きなら、日本でアニメの勉強をしたら?」と言ってくれたんです。それで高校卒業後、18歳の時に日本に来ました。まず日本語学校で言葉の勉強をしていたのですが、猛烈なホームシックに襲われ、わずか2カ月で韓国に帰ってしまいました(苦笑)。」

■韓国に戻られてから何をしてらっしゃったんですか。


「何もしないで、実家でぼーっとしていたんです(笑)。そうしたら母から「あなた、何をやっているの!」と怒られて、自分としてもこのままだらだらしていても仕方がないと思い、「やっぱりもう一度頑張ろう!」と気合いを入れて再び東京に来て、1年間きっちり日本語学校に通いました。それから、アニメの勉強をするために東京デザイナー学院のアニメーション科に入学しました。デッサン、クロッキー、パースなど、いろんな授業がありましたね。「一点透視図法で風景を描いてこい!」と言われてみんなで外に出て描いたり。早くキャラの絵を描きたい友達は「そういうのはアニメの絵とは直接関係ないじゃないか」と言っていたりしましたけど、私はやっぱり基礎があってこそアニメの絵も描けると思っていましたし、なにより絵の勉強ができること自体がとても楽しくて、できるだけたくさんの授業を欲張って受けていました。作画も撮影も背景も絵コンテも全部勉強しました。私、自分で言うのもなんですが、学校ではかなり優等生で、奨学金ももらっていました。当時実家のほうも少し金銭的に苦しく、奨学金がないと生活できないほどでしたから、とても助かりましたね。卒業する時には優秀賞をもらいました。」

■卒業制作作品では監督をなさったんですか。


「はい、監督だけでなく、撮影、絵コンテ、演出などいろいろやっていました。7分くらいの作品で、今でも家で時々見返すんですが、例えば花火のシーンなんて今なら「パーティクルで火花を飛ばせば一発じゃん」って分かるんですけど、当時はそんなこと知らなかったから作画で一つ一つ描いているんですよ(苦笑)。何にも知らないながらも、さぐりさぐりみんなで力を合わせて作ったんだなあ、出来はともかく精一杯頑張ったなあって思いますね。うちの学校は毎年卒業制作作品の上映会というのがあって、そこにOBが来るんです。その時に先生から撮影会社のOBを紹介されて、その会社に入ることになりました。」

■撮影のプロの現場はいかがでしたか。


「ヤバいくらい楽しかったです! 仕事が楽しくて楽しくて、「どんどん吸収してやる!」という気持ちでした。実際、テレビアニメの撮影の仕事はペースが速いし量も多くて大変で、週に2日は徹夜だったんですけど、徹夜なんて平気でしたし、「もっとやりたい!やらせてください!」という感じでした。テロップに自分の名前がのったときは感動しましたね。」

■撮影という仕事のどういったところに魅力を感じましたか。


「この世にないものをどう表現するか、ということはとても面白いですね。「真マジンガー衝撃!Z編」という作品をやったとき、お話の中で"光子力"というものが出てくるのですが、これは実在しないものですからどうビジュアル化するか定まっていなくて、撮影のほうから「こういうエフェクトはどうですか」と監督に提案したんです。結果採用されて嬉しかったですね。
 けれど、5年ほどその会社で仕事を続けているうちに、徐々に自分の世界が狭くなってきているような感覚がわいてきたんです。この仕事の中だけが自分の世界のような気がして、もっと可能性を試してみたくなりました。「もっと広い世界を見てみたい。もしかしたら実写の仕事も面白いんじゃないか。とにかく他の仕事をやってみよう」と決心して会社を辞め、いくつか就職活動した中で、パチンコの映像を作る会社に転職しました。でも、そこではオーサリングといって、他の人が作ったデータを取りまとめて、実機に流し込むプログラマさんに渡せるように形を整えるという仕事で、自分で映像の中に手を加えることはできなかったんです。そうすると、日に日に「ああ、私もこの映像にエフェクトをかけたい!」という情熱が高まってきて……。それで、やっぱり私はアニメの撮影という仕事が好きなんだ、ということを再認識することができたので、その映像会社も辞め、いくつかの撮影会社に履歴書を送りました。しかしなかなか良い返事がもらえず、「それなら、いっそ自分で撮影会社を立ち上げようか!」とすら思っていた時に、伊藤さんを紹介してもらった……という流れです。ですから、久しぶりにアニメの仕事ができるということ自体がとても嬉しかったですし、大好きな新海監督の新作の現場ということでさらにテンションが高まりました。最初の会社を辞めていなければ、自分がまだまだちっぽけな存在だということに気付けなかったでしょうし、こうして新海監督の作品に関わるきっかけを掴むこともできなかったでしょう。そういう意味でも、一度辞めてよかったなと思っています。」

■今後はどんなお仕事をやってゆきたいですか。


「先日、田澤潮さん(『星を追う子ども』原画・作画監督補佐。インタビュー♯19)が監督なさったNHK教育「中学生日記」オープニングアニメーションで、初めて撮影監督を務めさせていただきました。評判がいいみたいで、嬉しいです。これからも機会があれば撮影監督をやりたいですね。でも撮影の仕事だけではなく、色々なジャンルにどんどん挑戦してみたいんですよ。実は今、ゲームの背景美術を描く仕事にもチャレンジしています。「美術を描くなんて学生の時以来だけど大丈夫かな」と不安な気持ちもあったのですが、やっぱりもともと絵を描くことが好きなので、すごく楽しいです。それから、アニメーターの岩崎さん(『星を追う子ども』原画。インタビュー#15)に作画の技術も時々教わっています。いつの日か、新海監督の『ほしのこえ』や『彼女と彼女の猫』みたいに、自分一人で自主映画を作ってみたい……というのが夢なんです。「こういうものを作りたい!」というイメージはずっと頭の中にあるんですが、なかなかストーリーの細かいところまで定まらなくて……。お話作りの勉強もやらなくちゃいけませんね。」

韓国流コミュニケーション。一緒に食べて、飲んで、冗談言い合って。
そうしてお互いの理解を深めることが仕事の連帯感にもつながる

■制作中は、李さん主催のキムチ鍋会などのイベントが開かれていたそうですね。ご実家から送られてきたキムチを使った本格的なものだったとか。


「好きなんですよ、みんなでわいわい食べるのが。私はどんな仕事であれ、人と人のコミュニケーションが一番大事だと思っているんですが、アニメの仕事って基本的には分業で個人作業も多いので、他の人としゃべるのが苦手な人とか、うまく自分の気持ちを表に出せない人もいると思うんです。そういう人でも、鍋会なら参加しやすいと思うし、気楽に食べて、飲んで、冗談でも言い合えるんじゃないかなって。それに普段あまり仕事の交流のないスタッフさんともそういう場でコミュニケーションをとっておけば、いざ何か困ったことが起きた時でも相談しやすいでしょう。
 私、以前勤めていた会社では、毎日夕食を作っていたんですよ。一人300円ずつ集めて、10人いれば3000円になりますよね。そのお金で近所のスーパーで肉や野菜を買って、スタジオの台所で料理して生姜焼き定食とか作ってスタッフみんなで食べていました。そういうふうに普段から一緒にごはんを食べて仕事の話だけじゃなくてくだらない話でもしていれば、お互いが考えていることもよく分かりますからね。社長に「この冷蔵庫じゃ小さすぎます!コンロも足りません!」と言って、大容量の冷蔵庫とホットプレートとIH調理器を買ってもらったほどです(笑)。」

■すごいですね!


「韓国では食事はとても大切です。韓国語で"家族"を表す言葉として、「家族」という単語もあるんですけど、もう一つ、「食口」という単語をよく使います。「シック」と読むのですが、これは同じ釜の飯を食べる仲間、血縁ではないけれど家族のように深く結びついている人たち、という意味を持ちます。韓国では一人でごはんを食べていると、「よっぽど寂しい人なのか?」「いじめられっ子なのか?」と思われます。ですから私も子どもの頃から友達を家に連れてきて一緒にサムギョプサル焼いて食べたりしていましたよ。日本に来て驚いたことは、女の人でも一人で平気でお店でごはんを食べていたことです。私も真似して一人で食べてみましたが、緊張してしまって、おいしく感じず、うまく消化できませんでした。最近ではだいぶ慣れて一人でも牛丼屋に入れるようになりました(笑)。
 でも、今回のチーム新海では、定期的に飲み会が開かれたり、美術スタッフさんたちのいる2スタでビアガーデンが開催されたり(インタビュー#17参照)、もともとコミュニケーションが盛んだったので、とても風通しがよく、同時に連帯感のある現場でした。私は絶対に飲み会は欠席しませんでしたよ(笑)。飲み会でも、新海監督はとても楽しくお酒を飲まれる方で、無理にその場をまとめようとすることもなく、とても自然にそれぞれのスタッフのところに行って話したりしていて、素敵な監督さんだなと思いました。」

なんとしてでもこの作品を世に送り出さなければ、という使命感。
今、この時代にこの映画が生まれたことには、きっと意味がある

■完成した『星を追う子ども』をご覧になられて、いかがでしたか。


「私はやはりアスナに共感しました。自分が子どもだった頃に近いなと感じたんです。アスナ同様、うちも母が忙しかったので、私が自炊したり家のことをしたりしていたので。アスナが自分の本当の気持ちに気付いて「私、ただ、寂しかったんだ……」とつぶやくところはグッときました。
 一方、モリサキに対しては、「こういうことを考える人もいるだろうな」ということは理解しつつも、正直、なんて愚かな人間なんだろうと思いました。罪のないアスナを引き換えにするのは許せないし、あんな形で蘇ってもリサが本当に幸せだと感じるわけがない。リサにとって何が本当の幸せなのかを考えていないのではないか、「蘇らせたい」というのはモリサキのわがままでしかないのではないか……そう感じました。でも、私がモリサキのことをそう捉えたのは、もしかしたら私がまだ決定的に「大切な人を失う」ということを経験していないからかも知れません。もしも私が、本当に大事な人を失ってしまったら、その時は……どんな気持ちになるんでしょうね。確かに「こうすれば蘇らせることができる」と教えられれば、そこにすがりたくなるかも知れません。数年後、数十年後、またこの作品を見たら、アスナに対してもモリサキに対しても、きっと違う感覚で捉えることができるんだろうなと思います。何度も繰り返し見たい作品ですね。」

■今作品の中で、李さんおすすめのシーンは。


「全部おすすめなんですが、特にエンディングが好きですね。熊木杏里さん(インタビュー♯11)の主題歌「Hello Goodbye & Hello」が流れて、そこからの展開が素晴らしいので、ぜひ見逃さないようにしてほしいです! この作品の終わり方を「ハッピーエンドではない」と言う方もいると思うんですけど、私としては最後のアスナの表情で「ああ、アスナは何かを背負いながらも、強くなったんだな」ということを感じ取ることができるので、これはこれでハッピーエンドだと思うんです。もちろん手放しで「ハッピー!よかったね!」という分かりやすい感じではなくて……「ほっとする」という感じですね。でも、そこにはもしかしたら「ああ、無事に最後まで完成してよかったなあ」という自分自身の「ほっとする」気持ちも入り交じっているかも知れません(苦笑)。やはりどうしても、完全に自分自身の仕事と切り離して客観的に作品を見るということは難しいので。特に今回は、作業している最中に震災があり、私もみんなも強い思いをこの作品に込めています。映画自体は2011年1月末に一旦完成し、2月から3月にかけて新海監督と撮影スタッフで、より精度を高めるためブラッシュアップしていました。3月11日もスタジオで作業をしており、新海監督から言われた指示をメモしようとしている時に地震が起こりました。本当に恐ろしかったです。そのまま他のスタッフさんたちと一緒にその日は近くの小学校に泊まり、次の日会社に戻ってみたものの全く仕事に手がつかず、一度家に帰りました。次の日、制作さんからは「休んで大丈夫ですよ」という連絡をいただいたのですが、新海監督からスカイプで「もしできることなら、スタジオに出てきてもらえると嬉しいし助かります」と言われた瞬間、グッと使命感に駆られたんです。「私の力が必要とされている! 今やらなくて、いつやるんだ! 絶対に最後の最後まで全力でやりきる!」と。それで、お泊まりセットと私物のMacBook Proを持ってスタジオに来て仕事に集中し、制作さんに用意してもらったレンタル布団でスタジオに寝泊まりしました。最後の数日間は新海監督がスタジオ近くのビジネスホテルの部屋をとってくださりありがたかったですね。そうして3月21日、全てのブラッシュアップ作業を終えました。
 とにかく、全部やりきったぞ、という気持ちです。テレビアニメの仕事をしている時は、スケジュールの都合で「ああ、本当はここまでやりたいんだけど、時間が足らないな。もう提出しなくちゃ」と心残りがあることも度々ありました。そういう作品は、やっぱり見ていても後悔の気持ちばかり湧いてきます。だけど今回は、全ての力を出し切ったので、心残りはありません。素直に「たくさんの方に見てほしい!」という気持ちです。『星を追う子ども』という作品作りに携わり、この作品を世に出すことができて、本当に良かったです。
 今、この時代に『星を追う子ども』という映画が生まれたことに、きっと何か意味があると信じています。ぜひ多くの方に見ていただいて、何かを感じていただけたら嬉しいです。」

 

【インタビュー日 2011年6月2日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】

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