目 次

新海 誠(監督)インタビューコメント3
新海 誠(監督)インタビューコメント2
新海 誠(監督)インタビューコメント1
#27 伊藤 耕一郎(制作プロデューサー)
#26 キノコ・タケノコ(コミックス・ウェーブ・フィルム 制作進行)
#25 木田 昌美(キャスティング ネルケプランニング)
#24 三木 陽子(色彩設計補佐・撮影)・市川 愛理(撮影)
#23 松田 沙也(脚本協力)
#22 李 周美(撮影チーフ)
#21 真野 鈴子・玉腰 悦子・中嶋 智子(動画検査・動画)
#20 木曽 由香里・鮫島 康輔・釼持 耕平(アンサー・スタジオ 制作)
#19 箕輪 ひろこ・田澤 潮(原画・作画監督補佐)
#18 三ツ矢 雄二(アフレコ演出)
#17 渡邉 丞・滝口 比呂志・泉谷 かおり(美術)
#16 池添 巳春・本田 小百合・青木 あゆみ(美術)
#15 中田 博文・岸野 美智・岩崎 たいすけ(原画)
#14 竹内 良貴(CGチーフ)
#13 肥田 文(編集)
#12 多田彰文(編曲・アレンジ)
#11 熊木杏里(主題歌)
#10 粟津順・河合完治(撮影、CG)
#09 野本有香(色指定・検査)
#08 廣澤晃・馬島亮子(美術)
#07 土屋堅一(作画監督)
#06 天門(音楽)
#05 丹治 匠(美術監督)
#04 西村貴世(作画監督・キャラクターデザイン)
#03 井上和彦(声の出演)
#02 入野自由(声の出演)
#01 金元寿子(声の出演)

伊藤 耕一郎(いとう こういちろう)『星を追う子ども』制作プロデューサー #27
 

一つの作品作りが終わるとすぐに、次の作品に向かってミーティングが始まる

■『星を追う子ども』の企画の始まりは。

伊藤
「新海監督とはいつも、一つの作品制作が終わる頃には「次はどんな作品を作ろうか」という話をするんです。『雲のむこう、約束の場所』の時もそうでしたし、今回も2007年に『秒速5センチメートル』の公開を終えて、「猫の集会」(NHK「アニクリ15」の中の一編)を作っている時に、「次はこういう作品をやりたい」と言って新海監督が持ってきたのが、乙骨淑子さんの長編児童文学「ピラミッド帽子よ、さようなら」(理論社)でした。とは言え、新海監督はこの時点ではまだ、次に作る物語をどんなものにするか、多くは言及しませんでした。そこで、ちょうど2008年の年初からしばらくの間、新海監督は海外に滞在することが決まっていたので、僕は「海外にいる間に、どういう映画を作りたいかじっくり考えてきてください」と伝えました。
 新海監督としては、『秒速』を作ったことで、ある程度、「やりたいことをやりきった」という感じがあったと思うんです。自分で小説まで書いたほどですからね。『秒速』は、『雲のむこう』が新海監督の初めての劇場長編作品でいろんな人と共同作業をして少し大変だったということもあり、「次は少人数のスタッフで短編を作りたい」という監督の思いがスタートでもありました。最終的には3つの章でトータル63分という長さの作品になりましたが、新海監督としては「短編を作った」という感覚なので、「じゃあ次は長編を」という気持ちもそもそもあったのだろうと思います。
 実は、作品を制作している間にも、「この小説を新海監督にアニメ化してほしい」というようなオファーをいろいろいただいているんです。でも、それは毎回、僕たちのほうで止めています。制作の最中はその作品のことに気持ちが集中しているので、別の作品の話はできませんからね。そういう話はこちら側で貯めておいて、制作が終わった時に、「こういうお話が来ているんだけど……」と僕や川口(『星を追う子ども』プロジェクト・マネージャー)が新海監督に伝える、という形です。同時に僕らとしても「これを新海監督がアニメ化したら面白いんじゃないか」というような小説やマンガを探して、監督に提示することもあります。
 ただ、やはり一番重要なのは「本人がどうしたいか」なんですね。コミックス・ウェーブ・フィルム(『星を追う子ども』制作会社。通称CWF)と新海監督の関係は、常にそうです。こちらから「これをやったらいい」と押しつけたりするのではなく、監督自身が「何を作りたいか」ということを最優先します。」

■最初のプロットはいつ頃に出来上がりましたか。

伊藤
「2009年初めに川口が海外にいる新海監督のところに行って打ち合わせをし、ある程度「こういう話をやりたい」というものが見えてきたので、「じゃあそれを文章化してプロットとして出してください」とお願いしました。その文章は、09年春に新海監督が帰国する少し前にメールで送ってもらいました。それが『星を追う子ども』の一番初めの原型ですね。」

■その原型の文章をお読みになられて、どのように感じられましたか。

伊藤
「「生と死」がテーマだということは最初から明確になっていて、原型の段階ではちょっと暗い物語のイメージでした。絵作りの段階になると、アスナがいきいきと体を動かすことや激しいアクションシーンなど「身体性」というテーマも見えてくるのですが、最初のシナリオの段階では文字だけなのでまだ身体性のことなどは分からず、シナリオ会議で僕は何度も新海監督に「とにかくもっと明るいものにしましょう」という話をしました。僕としては、生と死がテーマである冒険ファンタジーアニメを作るなら、全体としては明るい話にしたほうがお客さんが素直に楽しめるはず、と思ったんですよ。新海監督の作家性は、いわゆる情緒的な部分、ちょっと辛辣な言い方をすると「ジメっとしたところ」にあって、そこが視聴者の琴線に触れるところなんだとも思うんです。ただ、冒険ファンタジーを描くならそれよりももっとハッピーな感じになるほうがいいと僕は考えたんです。
 僕がシナリオ段階で新海監督と話す時に一番気にするのは、いわゆる「映画のセオリー」です。「新海ファンじゃない人は、こういうところが気になると思うよ」という部分についてひたすら闘います。悪く言えば、新海監督の作家性を潰すような発言ですね。それは、できるだけお客さんの層を広げたいからなんです。でもあまりにもやりすぎると、当然それは新海監督の作品ではなくなってしまいますから、新海監督が「僕はこうしたいんです」という作家性を大事にすることとバランスをとりながら、せめぎあいをするわけです。
 結果としては、生死を扱った冒険物語でも、見事に新海監督らしさがたくさん詰まった作品になったと思います。そういう部分を感じてもらえたら嬉しいですね。」

『星を追う子ども』は、小学生や中学生にこそ是非見てもらいたい作品

■キャラクターデザインについてはどのように決めていったのですか。

伊藤
「今回は主人公は、活発な小学生の女の子で、よく動くキャラクターということもあり、いわゆる"萌え"なキャラクターデザインにはしないほうがいい、というのは僕も新海監督も同意見でした。また、作画監督が西村さん(インタビュー♯04)だったこともあり、西村さんの描きやすい絵ということもあって、このようなデザインになりました。
 また、僕は、今回のような世界名作劇場やジブリ的な絵柄なら、普段アニメをあまり見ない人にも「見てみようかな」と思ってもらえるんじゃないかと考えたんです。以前、知人と話しているときに、僕が「アニメの映画を作っているんです」と言ったら「ごめんなさい、私アニメは見ないんですよ」って言われ、「えっ、ジブリ作品も見ないのですか」と聞いたら「いや、ジブリは見ますよ。だってジブリは映画だから」という答えが返ってきました。その時思ったのは、この溝はいったい何だろうということですね。それで考え至ったことの一つは、商業的なことを除いて、それは所謂「見た目」だったんです。" アニメ"を見ない人にとって、そのアニメと言われるものは、"世界系"とか"萌え" とか言われるアニメ文脈の中にあって、特にアニメが好きという人でなければちょっと敬遠されてしまうのかもしれない"アニメ"ということだろう、と。そうであるならば、今回の作品は、そういう見方をされる絵柄は避けるべきであり、むしろ幼い頃から見慣れている名作劇場のような見た目なら、親しみを持ってもらえるはずだと思ったんです。」

■この作品をどういった方に見てほしいと考えてらっしゃいましたか。

伊藤
「当初は、これまでの新海作品と同様、30代前後の男性のお客さんがメインになるだろうと思っていました。新海監督自身は企画の最初の段階から「小学生に見てほしい」とずっと言っていましたが、僕は「それは無理だ。お話が難しくて小学生には向かないだろう」という考えもありました。でも、最終的にシナリオが上がった時点で、「これはぜひ小学生や中学生に見てほしい!」と思いました。僕らが『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』を見た時と同じように、きっと感慨深い作品になるだろう、と。ストーリーの細部まで分からなくても、そういうことをすっとばして楽しめるし、数年後に見直したら「あ、この映画はこういうことを言っていたのか」ともう一度感動できる。そういう作品になるだろうという確信がありました。
 実際、劇場公開後、映画館には小中学生がたくさん見に来てくれていますし、中には監督のサイン会に来てくれる子もいます。着実に多くの若い子にも観ていただけたという実感が今はありますね。
 難しいなと思ったのは、これまでの新海作品のファンの方の期待にどう応えるかということです。今回の作品は特に「もっと広い層に届けたい」という思いが監督も僕もはっきりとありましたから、ファンの声とどういうふうにバランスをとるかということは非常に重要な問題でした。しかし結果的には、既存のファンの方々にも十分に期待に応えられた作品になったと思っています。」

どこを動かして、どこを止めるか。クオリティと予算と時間がせめぎあう枚数制限

■実際に制作に入ってからは、伊藤さんはどのようなお仕事をなさっていたのですか。

伊藤
「今回、予算は『秒速』の約3倍かかっていますが、スケジュールはほぼ同じくらいタイトでした。予算が3倍といっても、映画自体の規模が『秒速』とは違うことを考えると、けして余裕があるわけではなく、「この予算で、このスケジュールで、どうやって完成させるか」と考えた時、結局は「どんなクオリティにするか」という問題になるんです。「本当はもっと描きたいけど、時間がないからそこまで手を加えられない」とか、「もっと作画枚数をたくさん使いたいけど、予算的にそれは厳しい」とか。そのクオリティと予算と時間のバランスについては、常に新海監督と闘いました。
 新海監督は、キャラクターを動かしたいという欲求が今回はすごく強くて、できるだけたくさん作画しようとしていました。もちろんたくさん作画すれば、それだけリッチな動きになって、クオリティも上がります。でも、こんなことを言うと新海監督に怒られるかもしれないけど、極論を言うと、新海監督の映画というのは止め絵でも充分見れちゃうと僕は思っているんです。それぐらい素晴らしい構図が取れている。ストーリーを伝えるだけなら、紙芝居だっていい。だから、お金を節約しようと思えば、できるだけキャラクターを動かさないで作画枚数を減らせばいくらでも節約できる。大事なのは、どこを止めてどこを動かすのか、という取捨選択の部分です。そこを闘わないと、僕のいる意味がないですから。」

■闘うというのは、具体的にはどういうことなのでしょうか。

伊藤
「まず制作を開始する段階で、映画には、映画を映画として成功させるための予算とスケジュールがあります。その上でアニメ映画では、使える総カット数や総作画枚数を決めていくわけです。ですから新海監督やメインスタッフには「何カット以内におさめてください」「動画枚数は何枚以内におさめてください」「いついつが制作アップです」など最初に話をするのですが、今度は制作を進めていくうちに「このカットに何枚かかりました」というデータが上がってくることで、「このペースでいくと全部で何枚ぐらいになりそうだ」と予想でき、「このままだと、元々の予算よりももっとかかってしまうぞ」という計算ができるんです。じゃあ、どうやったら元の予算に近付けることができるか。それは、端的に言えば、動かすところを減らすか、カットまたは尺を削るよう、これから作画作業に入るところに関して監督や各スタッフにお願いして、制限をかけるわけです。僕も1カットずつ絵をチェックして「ここ、こんなに動かす必要ないんじゃないですか」などと意見を言うこともあります。そうやって、少しでも作画枚数なり、カットなり尺を減らしていきます。
 例えば、あるキャラクターが走っているシーンで、足元に土煙がたっている。これ、土煙がなくても、走っていく動きさえあればシーンとして成立しますよね。脳内に刻み込まれるものとしては必要かもしれないけど、ぱっと見としては全体のストーリーには関係ない。だから僕は「この土煙の動きは削ってください」と言います。監督や作画監督から「これは土煙があった方が情緒が出る」とか「映像に深みが出る」と反論されたら、「この土煙を活かしたいなら、どこか別の動きを削ってくれ」と言います。僕が言うことは"絶対にそうしてほしい"ということではなくて、"こうしたらどうか"という提案なんです。これは削れると思うから削ってくれ、と。ここを削りたくないなら、他のところを削ってくれ、と。そういう取捨選択を提示するわけです。」

■そういう時、新海監督は、素直に削るのでしょうか。

伊藤
「いやー、新海監督は大概は「これは必要な動きだ」と言ってなかなか削ろうとしないですね(笑)。その代わりと言ってはなんですが、今回は西村さんが非常に頑張ってくださいました。演技をつける段階でかなり動きの枚数を削ってくださったんです。
 もちろん、僕に言われて「はいはい、すぐに削ります」と言いなりになるような監督というのも困りますけどね。監督という業種の方には、しっかり自分の意見は主張してもらいたいんです。でも、それが全部まかり通ってしまうと、予算オーバーになって企画自体が潰れてしまったり、頓挫してしまったりすることもありますので(笑)、毎回そのせめぎ合いですね。」

理系のメーカーから欧米遊学、そしてアニメの知識ゼロのまま制作進行の道へ

■伊藤さんは、幼い頃からアニメのプロデューサーを目指していらしたのですか。

伊藤
「いや、「アニメの仕事をしたい」なんて全く思ってなかったです。大学は理系で、応用化学を学びました。卒業後メーカーに入社しましたが、4年半働いて「貯金もたまったし、好きなことをやろう」と思って会社を辞め、イギリスで半年、アメリカで1年間生活しました。一応語学学校に籍は置いていましたが、実際には"留学"というよりも"遊学"で(笑)、街の映画館で映画ばかり見ていましたね。もともと映画がすごく好きだったんです。だけど貯金がなくなったので日本に帰国することになり、「さてどんな仕事をやろうか」と考えた時に「こんなに映画が好きなんだから、やっぱり映画産業がいいな」と思って求人雑誌を開いたら「○○スタジオ 制作進行募集」という情報を見つけたんです。制作進行っていうのがどういう仕事なのか知らなかったけど、「スタジオっていうことは映像の仕事だろう」と思って早速応募して、面接に行ってみたらそこはテレビアニメを作っている会社でした。アニメのことは何も知りませんでしたが、「へえ、アニメの会社なんだ。まあ、映像なら実写でもアニメでも同じだし勉強にはなるだろう」と思って入社しました。その時、僕は28歳でズブの素人。その会社の制作進行の上司はみんな20代前半の女性たち。若くても、たいてい高卒で入社してバリバリ仕事をこなしているから経験豊富なんです。朝10時から夜10時まで、上司から言われるままあちこちに原画回収に行ったり、資料を作ったり。そして上司が帰ってから、社内で自分の担当の仕事をやるので、帰れるのはだいたい夜中の3時。大変だけど、「お金をもらって勉強させてもらっている」という感覚で、楽しかったですね。
 だけど、そんな生活を1年2年と続けているうちに、上司が辞めたり他の会社に移ったりして、みんないなくなってしまったんです。その分、忙しさも増してきて徐々に疲弊してきて、ひどい時には一週間に家に帰れるのは2回だけ。それもシャワーを浴びるだけだったり。もはや会社のソファが僕のベッド状態(苦笑)。そんな感じで3年間働いているうちに身も心もボロボロに擦り切れてしまったので、「ちょっと休みたい」と思い、そのスタジオを辞めました。
 それで、次はどういう仕事をしようか、と考えている時に、知人から「面白い会社があるよ」と教えてもらったのがコミックス・ウェーブ(CWFの前身の会社。通称CW)でした。それで、面接を受けて、アニメーション事業部というところに入りました。その時に、CWが新海監督の『ほしのこえ』を発売していることを知ったんです。」

■もともと新海監督のことはご存知でしたか。

伊藤
「アニメスタジオ勤めしてた頃に、「アニメを一人で作ったヤツがいる」という噂は聞いたことがありましたが、作品は見たことがなく、きちんと認識したのはCWに入社してからです。CWに入社してしばらくは『ほしのこえ』のヒットもあって「新海監督と同じような逸材が他にもいるんじゃないか。そういう若い作家を探して面白い作品を作り、プロデュースする」というのが僕の仕事でした。そんな中、最初に手がけたのが森田修平監督の「KAKURENBO」だったりするのですが、その後は、当然のように逸材に巡り会うこともなかなか難しく、四苦八苦していたところ、川口から「ちょっと手伝ってよ」と言われ、僕も『雲のむこう』の制作を手伝うことになったんです。おそろしいことに、当時のCWには、アニメーション業界出身の経験者が誰一人いなかったんです。川口から話を聞いてみると、『ほしのこえ』は一人で30分の作品だったから、今度の作品は新海監督と田澤潮さん(『星を追う子ども』作画監督補佐・原画。インタビュー♯19)の二人で60分の作品を作ろうとしている、と。それでシナリオを読ませてもらったら、どう少なく見積もっても90分はかかるほどの分量があるんですよ。いや、参りましたね。それで「これはどう考えても90分かかります。予算はこれぐらいは必要だし、スケジュールはこれぐらいかかります」と川口を説得して、全部仕切り直しました。新海監督も川口も初めての長編で、どれほどの作業量があるか、よく分かっていなかったんだろうと思います。しかも、さらに参ったのは、当時の新海監督は全ての作業をできるかぎり全部自分でやりたいという人だったんですよ。作画も描きたい。美術も描きたい。撮影もしたい。作品の完成イメージがすごくはっきりしているから、他の人に作業を任せたくないんですよね。でも、それじゃあいつまでたっても完成しないから、なんというか、もう、ダマし合いでした。」

■ダマし合い!?

伊藤
「まず最初は、新海監督と田澤さんの二人で作り始めたんです。無理だということは分かっているけど。それで一週間後に「これだけ進みましたね。でも全部で○カットあるから、このままの調子だとかなり時間がかかりそうですよね。田澤さんだけだと難しそうだから、あと2人、アニメーターを足しませんか?」とか言って人を増やす。またその一週間後に「うーん、まだまだ時間がかかりそうですね。あと5人、足しませんか?」と言ってまた増やす(笑)。そうやって、カット数とか進行具合というような具体的な形で川口と新海監督の両方に納得してもらいながら、人を増やして制作を進めていきました。
 また、新海監督が原画演出作業で手一杯で、背景美術に全然手をつけられていなかったのを見越して「誰か美術アシスタントをつけましょう」と、アシスタントという名目でまずは提案して、スタッフを探しました。そうして出会ったのが丹治さん(インタビュー♯05)や廣澤さんや馬島さん(インタビュー♯08)で、本当に素晴らしい人に出会えてよかったなと思います。
 今では「新海作品の美術を描きたい」と言ってきてくださる方もいますが、当時はまだ新海監督のネームバリューもそれほどなく、フリーの美術スタッフを探すのも一苦労でした。ましてや当時はデジタルで美術を描ける人なんてほとんどいませんでしたから、丹治さんも廣澤さんも馬島さんもみんな監督の自宅スタジオに通ってデジタルで描く技術を身に付けていきました。
 そうやって当初の予定をはるかに上回る大人数での共同作業を経て、ようやく『雲のむこう』が完成し、好評を得ることも出来ました。だけど新海監督自身としては、クオリティコントロールという点ではおそらく不満も残っただろうと思います。ですから、その反省をふまえて、『秒速』は少人数制で基本的には監督自身の手の届く範囲で作品を作ろうということになったわけです。
 しかし今回の『星追い』は、シナリオの段階ですでに大規模な作品になることは分かっていましたから、「これを全部CWF内で作るのは無理だ。一部パートを別のスタジオさんにお願いしないといけない」ということになりました。どのスタジオさんを選ぶかというのは非常に作品にとって大事なことですが、実は僕としては最初からアンサースタジオさん(インタビュー♯20)にお願いしようと心に決めていました。」

■アンサースタジオさんと伊藤さんとはどのようなつながりがあったのですか。

伊藤
「僕は以前、別の作品でアンサーさんと一緒に仕事する機会があり、スタッフの方々が皆さん本当に素晴らしい方ばかりだったんです。それに、アンサーさんはもともとディズニー・ジャパンのスタッフの方たちが作られた会社ということで、以前西村さんもディズニー・ジャパンに在籍していたこともあり、西村さんの知り合いの方も多いスタジオということも心強いことでした。それで、アンサーの制作さんに相談したら、快く引き受けてくださったので、ありがたかったですね。新海監督も西村さんも、アンサーのスタッフの方々とは非常にウマがあったようです。『星を追う子ども』は、アンサーのスタッフの皆さんがいなかったら完成しなかったといっても過言ではありません。本当に感謝しています。
 今回、アンサーのスタッフさんや、外部の作画・美術スタッフさんから「今回の仕事、楽しかったです。また次の作品でもお願いします」と言っていただけることが多くて、僕としてはその言葉が非常に嬉しいです。やはり、アニメーション作品作りにおいて、スタッフ編成というのはとても重要です。"監督が信頼しているスタッフ"、そして"監督を信頼しているスタッフ"、そういうスタッフが監督のもとに集まって一緒になって作るというのが、制作の一つの理想の形だと思いますね。」

『星追い』制作進行スタッフ、採用の決め手は経験値よりも「一つ飛び抜けた面白さ」

■完成した『星を追う子ども』をごらんになられて、どのように感じられましたか。

伊藤
「もちろん、「いい作品ができて良かった!」っていう感慨に浸りますよ(笑)。ただ、「完成したぞー!」というようなプレッシャーからの開放感みたいなものは……実はないですね(苦笑)。ホッとするというわけでもないし……。そういう気持ちは、アニメスタジオで働いていた時代のほうが強かったですね。テレビアニメは毎週毎週が納期で、スケジュールはいつもギリギリで、何とか間に合って納品して放映されて「よかったー」という、そんなプレッシャーがありました。『雲のむこう』の時は、そういうプレッシャーが少しあったかな。当時は制作進行スタッフがいなかったから、僕が一人で全部まわさなくちゃいけなかったんです。でも、『秒速』や、今回の『星追い』では、優秀な制作進行スタッフが支えてくれたから、僕としてはそれほど大変じゃなかったんですよ。今回にしても実際に動いているのはキノコとタケノコ(『星を追う子ども』制作進行。インタビュー♯26)だったから、僕は俯瞰で全体の動きを見るだけでよかったんです。」

■制作進行のお二人は、今作品の制作にあたっての求人で、新たに入社されたのだそうですね。

伊藤
「ええ。ちょうど『星追い』を作り始める時にCWFには制作進行スタッフがいませんでしたから、求人誌に「制作進行募集」という情報を出して、80人弱の応募がありました。だいたい3分の2が男性、3分の1が女性でした。そこから書類選考で25人くらいに絞って面接しました。全体の傾向として、今の世の傾向なのかもしれませんが、女性が元気ですよね。男性は自分で抱いた希望とか夢とかのイメージがあって、そのイメージと実際に仕事がちょっとでも違うとすぐに辞めてしまいがちだなと。女性に比べると男性は頼りないという風潮があり、面接で話をしてみると実際そういう印象を受けましたね。『星追い』の制作には少なくとも2年かかるわけですから、その2年の間は仕事を辞めてほしくないので、仕事を続けられそうな人かどうかという点を重視して面接しました。そうして、キノコとタケノコを採用しました。」

■お二人の採用の決め手は。

伊藤
「僕はね、バカが好きなんですよ(笑)。バカっていうと語弊がありますし、採用した2人に怒られてしまいますが(笑)、まあ、面白いヤツが好きなんです。学力的に頭がいいとか悪いとかよりも、面白いと思えるかどうかということのほうが大事で、全部平均点の人よりも何か1つだけでも120点があるという人のほうが好きなんです。30点とか40点の部分があっても、どうせ経験を積んでいくうちに平均点ぐらいにはなるんだから。そういう意味で、2人は、面白い部分を持っているなと思ったんです。」

■未経験ということは問題ではなかったですか。

伊藤
「それは全く気になりませんでしたね。僕自身もこの仕事を未経験から始めましたし。今回の求人の応募者の中にはアニメーション制作の経験者もいたのですが、今までどういう仕事をしてきたかとか、どんなことができるかということよりも、実際にその人がどういう人間かということのほうが重要なんです。
 これは僕の主観ですが、経験者の場合、本当にすごい人というのは自信に満ちあふれていてオーラをまとっているので、顔を見るだけで「あ、この人は仕事のデキる人だな」ということが分かるような気がします。逆に、面接の時に「こんなこともできます、あんなこともできます」とペラペラしゃべる人は、なんだか僕には「嘘っぽいな」って感じるんです。
 それと、CWFという会社自体が普通のアニメーション制作会社ではなく、常に臨機応変を求められる会社なので、「普通のアニメーション制作ではそんなことはやりません」とか「僕は今までこうやってきました」とか、そういう固定観念を持って入社されることが一番困るという気持ちもありました。それぐらいなら、まだ、何も知らないほうがいいなと。
 それと、アニメが好きでこの業界に入ってくる子も多いけれど、実際に仕事を始めると、その実態に幻滅して、辞めてしまう子も多いんです。むしろ「特にアニメは好きではないです」という子のほうが、仕事として割り切って働くことができるので、面接の時はアニメが好きかどうかということは特に気にしませんでした。
 結果的に、キノコもタケノコもすごく頑張ってくれて、『星を追う子ども』の制作の大きな力になったと思います。非常に優秀な制作進行に育ってくれました。ありがたいですね。」

次回作は皆さんの想像を超えるような、アッと驚く作品に!

■伊藤さんの目から見て、新海監督はどういう人ですか。

伊藤
「自分がやりたいことに対する執着心、それに対する責任感がものすごく強い人ですね。「こういう作品にしたい」というイメージがはっきりあって、最終的には自分で撮影の部分までやるわけですけど、それこそ寝ないででも徹底的にやるわけです。だから見かけによらず非常にタフでもあります。自分の理想を求めて妥協しない強い姿勢は、ちょっと他の人と比べることができないほどですね。
 ただ、「少し優秀すぎるなぁ」と思うこともあります(苦笑)。僕としては、もっともっと、周りに仕事を預けてほしいんです。そうすれば、仕事を任されたスタッフは一生懸命頑張って大きく伸びますから。今回は、今までに比べると、だいぶ仕事を手放したなと思います。美術監督も丹治さんにお願いしましたし。でも、まだまだ周りに任せることができるはず、と僕は思っています。10点満点を目指して、他の人に仕事を頼んだ時に、8点のものが返ってきたとします。自分がやったら「黒色の10点」になったであろうものが、別の人がやったものは「赤色の8点」になっているかもしれない。でもそれは黒色じゃないんです。それが共同作業の面白さだと思うんです。今後は、いろんな人の色が混じり合った新海作品も見てみたいなと思います。
 とはいえ、スケジュールに余裕がない中では「自分でやったほうが早い」と新海監督が思う気持ちも理解できるんです。次の作品は、時間をかけて作れたらいいですね。」

■新海監督の次回作の構想は。

伊藤
「実は、なんとなくは決まっているんですよ。『ほしのこえ』『雲のむこう』『秒速』そして『星追い』と、作品ごとに新海監督は皆さんの期待をいい意味で裏切ってきたと思うんですが、次の作品は、これまで以上に、アッと驚くぐらい皆さんの考えをまた裏切るような作品になるのではと思っています。皆さんが想像もできないことをやりたいですね。遅くとも再来年中には何らかの形で出せるといいなと思っています。楽しみにしていてください!」

■それでは最後に、伊藤さんが今後やっていきたいことを教えてください。

伊藤
「CWFで新海監督と一緒に3作品作ってきて、ある程度の道筋というか、会社として新海監督をバックアップする体制はできたと思うんです。だから、僕は僕で、新しいことをやっていかなきゃいけないな、とも思っています。もっと色んな人と作品作りをやってみたいし、アニメではなく実写を作るのもいいかも知れない。もちろんアニメと実写とでは作り方が違うから、そんなに簡単にはいかないでしょうけどね。
やっぱり僕は映画が好きで、作品を作っている時が一番楽しいんです。お話を作っている時、キャラクターができあがっていく時……その都度喜びがあります。これからも、面白い作品を作り続けていきたいですね。」

 

【インタビュー日 2011年6月15日 聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】

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